2012年11月20日火曜日

あの時こうすれば……


「どうしてあの時」

「こうすればよかったはずなのに」

何度も過去の場面を想像し、
自分を責めて、
辛くなっている方がいらっしゃいます。

そんな時、私は、
その方と、戻りたい場面に
一緒に戻ってみることにしています。
「こうしていたら」と思うように、
想像の中で動いてもらう為です。

ところが、イザその場面になると、
彼らの口から、こんな言葉が出ます。

「あっ、でもやっぱりできないかも」

「だって、あの時には」

「こんなことになるとは
 思わなかったら、結局、
 同じ行動をとるような気が……」

今ならできても、
違う行動をとりたいという思いはあっても、
「あの状況ではできなかった」
と気がつくのです。

『今思えば』ということ、
ありますよね。

自分が違う選択をすれば、
結果は違っていたのではないか、
もっといい方向に
向かっていたのではないか。

でも、何度同じ場面に戻っても、
その行動が、
自分の精一杯だったのです。

「だから、あれで良かったんだ」と
自分にOKを出せるのが
一番良いのだけれど、
そんなことばかりでもない。

選択肢がみつからなかったし、
あったとしても、
他の選択肢は選ばなかった。
「それしかなかった」のかもしれない。

どちらにしても、
そうして納得することで、
あきらめることで、
前に進める事も
あるのかもしれません。

 
震災後、「ああすれば」
「こうすれば」は私の中にも
たくさんあって……。
 
ただ、どんなに後悔しても
私の過去は変わらない。
 
だから、今と未来を生きる。
 




6 件のコメント:

  1. 私は基本、あまり後悔しないほうです。
    美穂さんがいうように「その時」の精一杯だと思うから。

    私の横で寝てた母が意識を失っていたことに気がつかずそのまま帰らぬ人になった時も・・です。
    なぜか「自分がもっと早く気がついていれば」とは思わなかったですね。

    後悔しても、その時に戻ってやり直すことはできないって割り切ってるからですね。

    ある意味冷たいのかな(汗)

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    1. keiさんへ

      冷たいのではなく 強くて優しいのです。
      その後苦しむ娘を 
      お母様は「喜ばない」と知っているから。

      娘の横でこのよとお別れできたお母様は
      幸せだったのではないでしょうか。

      若松 美穂

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  2. 自分の腑に落ちるように事が進んでほしい、
    納得のいく結果が表れて欲しい、
    その気持ちが叶わなかった時に
    裏切られたような気分になったり
    なんか後悔にどっぷりとおぼれそうになります。
    理解ができないことは悪いこと
    そんなラインが自分の中にできあがってるなあと
    気づかされる瞬間です。
    自分の考え方に傷ついていることって
    あるんですよねえ。

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  3. ゆるりんりんさんへ

    自分の考え方に傷ついている

    そこに気がつけたら
    今より気持ちを楽にして
    生きていけるのかも♡

    たとえ
    受け止めなくてはいけない現実が
    どんなに辛かったとしても
    ……ね

    若松 美穂

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  4. 娘の横でこのよとお別れできた母を幸せだと言ってくださった文章を読んで嗚咽してしまいました。
    そんなこと微塵も思ったことがないからです。

    正しくは「一生懸命責めないようにしてた」のかもしれません。
    見つけてあげられなかった自分の不甲斐なさを責めるのが惨めに思えたのでしょう。

    兄を溺愛する母に対して寂しさが常にあり、反発する私と母は対立することが多かったのです。
    果たして自分は愛されていたのか?

    不思議ですね。会ったこともない美穂さんに琴線に触れる言葉を頂戴するなんて。
    大事にします。ありがとうございます。

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  5. keiさんへ

    こちらこそ いつも
    ありがとうございます。

    若松 美穂

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