2017年2月9日木曜日

承認欲求と貢献感~アドラー心理学を学んで~




昨日も
『アドラー心理学の
勇気づけ勉強会』を開き
私も参加者様にお伝えしつつ
学ばせていただく時間になりました
 
***

アドラー心理学では
承認欲求を否定します

だからこそ
『嫌われる勇気』
という題名なのですね

ある時 本を読んだという方に
聞かれました
「認められたい・ほめられたいって
誰もが自然に思うことじゃない?
誰もが持っている欲求じゃないのかな?
それを否定するって
どういう事なんだろう」

確かに……

本の中では
『承認欲求にとらわれると
他者から認められることを願うあまり
いつの間にか
他者の要望に沿った生き方になる
つまり他者の人生を生きることになるから』
だとあります

私は 自分流ですが
もうひとつ
貢献感と対(つい)にして考えると
わかりやすいのではないか
と 感じています

アドラー心理学では
『貢献感』もひとつのテーマです

以前 聴いたお話
天皇陛下の心臓手術を執刀された
天野篤さんの講演会でも
貢献について 語られていました

「若い時には  
欲望と自信を持って前に進み

結果  自分が手にしたものは  
私利私欲の為ではなく  
貢献という形で  
誰かのために使う
人のためになることをする」と


何かをする時 目的が
誰かのため 
人のために貢献する
(ただし 自分を犠牲にする
という考え方とは異なります
だったとします

で あれば 
誰かのために 人のために
できたことが
その人の満足感につながるはず

たとえ
認められる・褒められる
喜ばれる・共感されることがなくても 

それは あくまでも
後についてくるもの

こちらが決めることではなく
相手が想うことですから
期待通りには
いかないこともありますよね

ところが

・認められる
・褒められる
・共感される
・喜ばれることが目的になると

誰かのため 人のためという
貢献感は消え

認められたい
褒められたい
共感されたい
喜ばれたいという
自分の欲求を満たすだけの行為
(承認欲求を満たす行為)に 
切り替わってしまう

「そのために
何をすればいい?」と
することまで
異なってしまう可能性も
     ↓
つまり
『他者から認められることを願うあまり
いつの間にか
他者の要望に沿った生き方をし
他者の人生を 生きることになる』に
つながるのかなと


自分を大切に
加えて
誰かのために 人のために
……も
考えられる人になる
できる人になる

簡単ではないけれど
努め続ける価値はある
私はそう思っています

 


幸せになる勇気


こちらも『なるほど~』がいっぱい







10 件のコメント:

  1. 承認欲求は自分の「欲」、とても共感できました。簡単ではないけれど、努めて続ける価値はある。私もそう思います。アドラーと出会って、貢献感を大切にするようになって、日頃のなんでもない時々面倒な家事が楽しい仕事にかわりました。誰もほめてくれなくても、食べている家族の顔を見るだけで勝手に(笑)貢献感を感じてしあわせです。
    美穂さんのブログいつも楽しみにしています。ありがとうございます!

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    1. 40s-style-magazine2017年2月10日 12:27

      と さん

      「日頃のなんでもない、時々面倒な家事が
      楽しい仕事にかわりました」。そうこれこれ。
      たったひとつの物の見方が、自分を生きやすくする
      そこを感じたことのある人は強いですよね。

      こちらこそ、いつも読んでくださって
      ありがとうございます。

      若松 美穂

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  2. こんばんは~
    私、ここ何回かコメントさしてもらってるのですが、どうも機械にうといので届かないみたいです。(._.)
    今回も無理かな?

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    1. まゆみさん

      こちらは届きました~。
      でも以前の分は残念ながら確認できておらず(汗)

      以前いただいたコメントのいくつかが、
      スパムメールに入っていたのに、気がつかず
      スルーしてしまっていたので、
      今は、そちらもチェックしているのですが……。

      またぜひ送ってくださいね。
      お待ちしております。

      若松 美穂

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  3. 美穂さん

    他者の要望に沿って生きるって
    ひょっとしたら
    おもてなし文化の入り口かもしれません。
    承認されたいという気持ちは
    ひっくり返すと
    相手を理解しようとすることになることも。
    日本人は得意なような気がします。
    だからわたしは嫌いではないんですよ、
    つい他人の視点を気にすること。
    程度の問題はあると思いますが。
    嫌われなくても自分らしく生きてる人って
    わたしの周辺には結構おられます。

    美穂さんは他人を笑顔にできる生き方を
    持っておられます。
    他の何者かになろうとしなくていいと思います。

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    1. ゆるりんりんさん

      もちろん。わたしはわたしで生きて行きたいな。
      「嫌われる必要」はないけれど、
      「嫌われてもいい」くらいの気持ちを持っても
      良いよってことかな~と私は受け止めています♡

      ゆるりんりんさんのコメント、いつも勉強になります。

      若松 美穂

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  4. 色々深いなーと思うことばかり。とくに、嫁、姑問題などであてはめていくと、、。従順になることが、全てよいことのような気がしていました。でも、自分の思いを伝えたり、行動でしめしたり、嫌われてもいいやって思ってみたり。少しずつ図々しくなりつつあるのは、年のせいかな?とかおもいますが、。
    言いなりの人生は、やっぱり嫌だなー、ある意味相手のご機嫌をとって、まるくおさめたら、すごい楽なのかもしれないけど、相手の人生を生きるのはね、、。(´ω`)��


    私も時間を作ってアドラー学んでみようとおもいました。

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    1. 匿名さん

      そうなんですよね。

      従順になって、何を得ようとしているのか……、
      自己評価を上げる、気に入られる
      (これも承認欲求ですよね)
      そんな目的のために自分なりに頑張ってみても、
      相手の希望には到達しない。
      何も得られないこともあって……。

      だからこそ、私はどうありたいのか、
      大切かなと思います。

      アドラー、深いですよね。
      共に、得られるものを増やすことができるといいですね。

      若松 美穂

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  5. よかったです~
    ひとり言みたいなコメントでごめんなさいm(__)m いろいろ調べていただいてありがとうございました。届きますように!

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    1. まゆみさん

      こちらこそ、せっかくいただいた以前のコメントも
      拝見できず残念です。またお願いいたします。

      若松 美穂

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